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あのときあなたは・・・~東日本大震災からもうすぐ6年~

【オーレ】

こんばんは。
風邪が完治しましたオダジバガマックスオーレです。

もうすぐ、東日本大震災から6年が経とうとしております。当時の記憶が年々薄れていくようで・・・危機管理もおろそかになってきたような・・・自然現象なのでしょうが、これではイカンですね。
千年に一度(諸説ありますが)と言われる大震災を経験した者として、当時の記憶を辿(たど)り、今ある日常がどれだけ幸せなのかを感じたいと思います。
これから何日か、震災話続きます。たぶん。

本日は、オーレが学生時代にお世話になった、下宿の若おばさん(今は横浜に住んでいる)に送ったメールを読み返してみます。5年ぶりです。当時の記憶が蘇ったわー。(一部特殊加工を入れてます)


こんにちは。オーレです。

返信が遅くなり申し訳ありません。
若おばさん、お手紙ありがとうございました。
カミさん、チビ①号、チビ②号も元気にしております。子供に負けず、私が一番元気です。

若おばさんから花を贈って頂くとの事で、遠慮なく頂きます!とてもとても嬉しいです。
3月でOKですので、楽しみに待っています!!

まだ寒さ厳しいですが、一日一日を元気に過ごしましょうね。

もうすぐ震災から一年が経ちます。
昨年は大変な一年でしたが、
遠方(奈良県等)から来てくれて、がれき撤去してくれた自衛隊の皆さん、全国の皆さんの温かい支援もあって、オーレの我が家も、現在は何とか無事に?復旧しています。
O市の実家も無事でしたが、国道45号線をはさんで向かいまでは津波がきたのです。
しかし、親戚の家をはじめ、O町の街は無くなってしまいました。
隣のRT市は、すっかり消滅していました。
言葉にならないとは、こういう事を言うんだと思いました。

震災時は会社の工場の中に居ました。
地震警報が鳴り、震度2⇒4⇒その後は地鳴り、轟音で警報が聞こえなくなりました。
天井が落ちると思い、生まれて初めて地震に恐怖を感じました。
床の継ぎ目から埃が吹き出すのは、初めて見ました。
屋外へ避難したのですが、寒さもあって一旦、車へ一時待機となり、そこで、気仙沼へ津波が来ている映像を見ました。
その後、誰かの携帯ワンセグで仙台空港や、東部道路まで津波がきているのを知り、
我が家(I市)にも津波は確実に来ていると思いました。
その時点では家族と連絡がとれず、最悪の事態も考えながら車を走らせました。
至る所で、道路が隆起、陥没しており、国道4号線は大渋滞しているようでした。
裏道の田んぼ道を走り、何とかI市の町中まで辿り着きました。
そこでカミさんと携帯が繋がり、チビどもも一緒で無事、T中学校へ避難している。
津波が来ているので、家はわからないという事を知りました。
カミさん⇔オーレの親とも一度携帯が通じたらしく、両親も無事ということがわかりました。
生きているのがわかって、生きていれば何とかなる!と元気が出ました。

我が家は、東部道路の東側(海側)へ建っています。海から直線2km弱くらいでしょうか。
岩沼IC前の道路はすでに警察に封鎖されており、東部道路を越えて津波がきている。非常に危険です。引き返してください。と止められ、行くところもなく、岩沼市民会館へ入りました。

大勢の人たちが集まり、地震、津波情報を聞くたび、ものすごい事が起こっていると改めて感じました。
イスに座ったまま一晩を過ごし、翌早朝にT中学校へ向かいました。
養豚場のブタさんが流されたのでしょう。道路で何頭も死んでいました。
ヘドロ、松林の松の大木や瓦礫が、無数にあちこちに散らばっていました。
広い田んぼがあったところは、海水が残り、湖のようになっていました。

中学校に行く前に、我が家に向かいました。
我が家は、、、奇跡的に残っていました。
周辺はヘドロだらけでしたが、家に入るとTVなどが倒れていましたが、
床に津波は上がってなく、床下を見てみるとほんの数センチ下まで津波の跡がありました。
ギリギリセーフだったのです。
近所では、床上まできたところもあったので、運が良かったようです。
しかし、駐車場に止めてあった車は、たっぷり海水に浸かり廃車となりました。

小、中学校へ避難した人の車は、津波でほぼ全滅。
もう少し海側の地区の家屋は全壊。戦争(空襲)があったようにめちゃくちゃな状態でした。
T地区で同じ会社の後輩がいたのですが、津波で亡くなりました。
祖母を中学校へ避難させて、自分が家に戻った時に津波に流されたとの事でした。
チビ①号の同級生も一人、津波で亡くなりました。とても悲しい事でした。

その後、避難生活を経験しました。
中学校では数百人が滞在しており、トイレの水の都合がきかなくなり、プールから軽トラでバケツに水を汲んで運搬し、若い男子は(オーレは若いふりして参加)、永遠と2~3階へバケツを運ぶといった過酷なボランティアもしました。両手の握力が無くなりました。
夜はロウソクだけ、ほぼ真っ暗。足も伸ばせず、土足で歩く廊下で寝ました。
3日後、中学校から再び市民会館へ移動し過ごしました。
通勤で使用していた軽自動車には、ガソリンがあまり無かった為、どこにも行けず、留まるしかありませんでした。
避難者は多数いて、スシづめ状態。皆、ストレスはかなりのものがあったと思います。
この間に、同じ地区のいろいろな人と知り合えた事は、プラスになったのではと思います。

1週間目に、カミさんの実家(T市T町)から、助けが来てガソリンをもらい、カミさんの実家へ移動となりました。停電中で不便がありましたが、その夜、温かいご飯を食べて本気で死ぬほどおいしかったです。

数日滞在し、私一人だけ会社が始まるのでオーレの家(I市)に戻りました。
4月に入って家族も戻り、いろいろ大変なことがありましたが、今に至っております。

被災者を元気づけようと、T小学校にサッカー日本代表の長谷部選手、内田選手、川島選手など5名が来てくれましたし(子供より、オーレが喜んでいた)、
※添付写真のピースサインをしているのが、チビ①号です。(ブログには、掲載しません)
英国の歌手キャサリン・ジェンキンスさんが来てくれたり、
その他、いろいろと励ましのイベントがあり、元気づけられました。
ウッチー.JPG キャサリン・ジェンキンス.JPG

長くなってしまいました。
震災話は語っても語りきれないくらい、つもる話があるんですよ。

この経験は無駄にしない。プラスにする。良い方向へ行く。前を向いて。
心に刻んだことを忘れずに生きていこうと思います。

また、メールいたします。お元気で。   オダジバガマックスオーレ



オダジバガマックスは生きている、これからも生きる、生きろ・・・

つづく・・・


震災復興ダァ~!!辛くて苦しくて悲しかった思いを忘れずに、今という時に感謝してこれからも!
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